2023年の年間でアクセス数・ダウンロード数が多かった人気の写真素材をまとめまし...
Twitterで大人気のハッシュタグ #あたりまえポエム 。書籍化され、テレビに取り上げられ、何度もトレンドに入るなど、大きな話題です。
#あたりまえポエム 書籍化&テレビ放送&トレンド入り
— 氏くん (@ujiqn) 2017年2月27日
ありがとうございます
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さらっと読み飛ばしそうになるものの、よくよく読んでみるとおもしろい。そんなポエムに華を添えているのがぱくたその写真素材であることに、お気づきでしょうか。実はこれらは、カメラマン・カズキヒロさんの作品です。
どうしてこのような写真を撮るに至ったのか、ご本人にお話を聞きました。
――「 #あたりまえポエム 」の反響はいかがですか?
Twitterのフォロワーは、おかげさまで500人くらい増えました。とはいえ、写真を見て「いいな」と思ってくれた人がどれだけいるのか、という指標があるわけではないので、実はピンと来ていないんです(苦笑)。
――ぱくたそのダウンロード数は、作品としての人気の指標とはちょっと違いますもんね(笑)。ユニークな作品ですが、写真を撮り始めたのはいつごろからですか?
たしか、カメラを買ったのは、2010年とか11年とか。フォトモンタージュを始めたのは、2014年の3月か4月とか。でも、今も昔もカメラは副業というか、本業ではなく、仕事は大手通信会社でインフラエンジニアをしています。
写真は最初、完全に趣味でした。「誰かのオーダーで写真を撮影する」という、カメラマンの仕事がしたかったわけではなく、「自分が見たいものを撮りたい」というのがモチベーションです。
――「見たいものを撮りたい」とは?
もともと、カメラは自分とは縁遠いものでした。興味を持ったきっかけは、スマートフォンです。スマホが登場したばかりの頃、たしかソニーの『Xperia』初代だったと思いますが、「いいな」と思って。買ってみたものの、何に使うかはあんまりイメージできていなかった。
それがちょうど、インターネットでトイカメラが流行していた時期で。トイカメラアプリを入れて、トイカメラ的な表現の写真を撮っていたのですが、その色合いがすごくキレイで。それを自分の手で再現したくて、カメラを始めたんです。
――なるほど。カメラを本業にするつもりは?
うーん、それは難しいかも知れません。というのも、僕の写真は、スマホのトイカメラアプリがきっかけだったこともあり、「写真が好きな人が好きな写真」じゃないんです。邪道とか、加工とか、つまらないと言われるタイプのもので。
僕は逆に「写真が好きな人が好きな写真」が好きじゃなくて。でも、既存の写真表現の中で唯一、自分にハマったのが、いわゆる「多重露光」。一度シャッターを押して、フィルムを回さずにもう一度露光させて、場面が重なってしまう、本来は失敗の写真です。
――多重露光の手法の影響も受けているのですね。
はい。多重露光を自分でやりたいと思ったんですが、フィルムは高いし、その場で見られない。僕はやっぱり自分が見たいものが見たいので、デジタルでもアナログでも構わないと思ったんです。
だったら、もう、手っ取り早いデジタルでいいかな、と。その場で見て、すぐに重ねて、という、デジタルのフォトモンタージュに行き着きました。「フォトモンタージュ」という言葉自体、便宜的にそう言わせてもらっているものなのですが。
――これも、本来的なフォトモンタージュではない?
そうですね。フォトモンタージュというのはかつては社会や政治批判などの要素を含むものだったので、これもまたぴったり来る表現じゃないんです。自分の作品に合う名前を見つけたいのですが。
――既存の枠に当てはめにくい作品なのですね。
はい、だからよく「邪道」と言われます。でも、吹っ切れました。「これが自分のやりたい表現なんだから、もうしょうがないじゃん」って。評価を期待することを止めたんです。
――自由になりましたか?
自由ではないですね。社会の見方が変わるわけではないので。賞に出してもガン無視ですし。
――マジすか。
はい、落選連絡すら来なかったことがあります(苦笑)。だから、今まで、そういうところで評価されたことはないんです。でも、写真を本業にしていこうと考えた時に、受賞歴はどうしても必要になるので。
賞的なものを無視するというのは写真家としてはマイナス。でも、それはやりたいことじゃない。そして、どっちもやるには時間が足りない。ジレンマですね。
――お話を聞いていて、率直な疑問なのですが、正直、ユーザー目線ではない?
ユーザー目線になると、やはり自分のやりたいことができない。自分がやりたいことが時代に合うかどうかは時代が決めることなので。自分じゃなくて。
時代に合うことを自分が追いかけるのか、それとも、それは「知らねえよ」って自分がやりたいことをやるのか。そこで僕は暫定的に、自分がやりたいことをやっている、という感じです。
――「暫定的」はいいですね。
決めてしまっても仕方ないですからね。未来は変わっていくものなので。
――とはいえ、注目が集まってしまっていますよね。
そうですね、不思議なことに。正直言って、何が起きているのかわからないんです(笑)。
――ダウンロード数もかなり上がっているそうで。でも、カズキヒロさんの作品は、当初はぱくたそでも「これは写真素材じゃない」という意見があったと聞いています。そこで、すしぱくさんが「これは新しい挑戦だ」と受け入れた、と。
まあ、純粋な意味での「写真素材」ではありませんよね。
――「作品」という印象です。実際に制作するときは、どのような作業をしているのですか?
フォトモンタージュを作るときに重視しているのは、フォトモンタージュを作ろうとしないことです。僕の写真は、重ねる写真の1枚1枚が、それだけでも完結するように撮影しています。だから、そもそも重ねる必要がないんです。
その中から、自分が「印象を深めたい」「もっと掘り下げたい」と思った写真に、それに適した別の写真を重ねて「二次創作」している感じです。
――作品には何かのメッセージが込められている?
いえ、それはないんです。さっき言った本来的なフォトモンタージュ、つまり社会や政治批判のプロパガンダに使われるようなコラージュには、当然、組み立てる人の意図がありますよね。見る人はそのモチーフからメッセージを受け取るわけです。
でも、僕の作品はそうじゃなくて、見る人に、自由に作品の中に入ってきてもらいたい。見る人が見る夢のようなもの。夢に意味はないじゃないですか。だからこそ予想だにしない内容になることもある。そういう、何かを想起する触媒にしたいんです。ある意味ではロールシャッハ・テスト的ですね。
――詳しくないのに知ったかぶりで恐縮ですが、現代アートにも近いような気がします。
逆にそれ(現代アート)だと、緻密に構成されたメッセージが必要なんですよね。
――難しいですね。新しい作品、オンリーワンな作品に既存のシステムが対応できていないともいえます。
まあ、「評価する」というのはフレームに当てはめることなので、その瞬間に意味づけられてしまうんですよね。だから、ぱくたそなんです。
――どういうことですか?
作品がぱくたそに載っている限り、誰のものにもならない。作品を売ったら、買った人のものになるじゃないですか。でも、ぱくたそにある限り、誰も買えない。誰のものでもないけど、誰にでも使える。公共財であり、ストリートアートのような。そこに作品を載せて、実際に使われていくというのは、たしかに一種のアートなんじゃないかと思いますね。
――ぱくたそがすごい場所のような気がしてきた!
(一同笑)
実際、すごいと思いますよ。文化的遺伝子を残せる稀有なプラットフォームというか。だから、そこの価値を高めるのがカメラマンの仕事だと思っています。ただ......。
――ただ?
ここで強調しておきたいのですが、僕はカメラの仕事はほしいんですよ。
――そりゃそうだ。
繰り返しになりますが、今の作品への向き合い方は、あくまで暫定的なものなので。僕の作品を評価してくれる方からのお仕事は、いつでも募集しています。
――ご連絡は カズキヒロのツイッターまで、ということで。ありがとうございました!